八尾の風情残る街並み
坂と石垣の街並み
「おわら風の盆」で全国的に有名な富山市八尾町は、石畳の街並みで、一般家屋も色や形を統一しており、江戸時代の街並みの佇まいを残しています。石畳舗装、無電線化の整備が行なわれ、昭和61年には「日本の道100選」に選ばれました。
また、八尾は、飛騨の山々から流れる多くの川が集まる地域で、古くから度重なる水害に悩まされていました。江戸時代に、川の氾濫から逃れようと住民が高台に町を開いたのが石垣の起源と言われています。
坂の多い街でもあり、八尾町の中心街をまるごと美術館に見立て、芸術作品を各地に展示する催し「坂のまちアート」が毎年開催されています。
リンク:坂のまちアートinやつお ホームページ
越中八尾 おわら風の盆
二百十日の初秋の風が吹くころ、おわら風の盆の幕開けを迎えます。毎年9月1日から3日にかけて行われるこのおわら風の盆は、今も昔も多くの人々を魅了します。涼しげな揃いの浴衣に、編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は、実に幻想的であり優美で、暮れを過ぎると、家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯がともります。
それぞれの町の伝統と個性を、いかんなく披露しながら唄い踊り、その町流しの後ろには、哀愁漂う音色に魅せられた人々が1人、また1人と自然につらなり、誰もがおわらに染まっていきます。
8月も半ばになると、夜な夜な街のあちこちで練習風景が見られます。また「花見のおわら」や「月見のおわら」などもあります。
歴史
おわらがいつ始まったのか、明瞭な文献が残っていないためはっきりしないようです。
「越中婦負郡志」によるおわら節の起源として、元禄15年(1702)3月、加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が、町の開祖米屋少兵衛家所有から取り戻した祝いに、三日三晩歌舞音曲無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりとされています。
おわらとは?
一説では、江戸時代文化年間頃、芸達者な人々は、七五調の唄を新作し、唄の中に「おわらひ(大笑い)」という言葉を差しはさんで町内を練り廻ったのがいつしか「おわら」と唄うようになったというものや、豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘が唄い始めたからと言う「小原村説」などがあります。
風の盆の由来
二百十日の前後は、台風到来の時期です。昔から収穫前の稲が風の被害に遭わないよう、豊作祈願が行われてきました。その祭りを「風の盆」というようです。また、富山の地元では休みのことを「ボン(盆日)」という習わしがあったと言われます。種まき盆、植え付け盆、雨降り盆などがあり、その「盆」に名前の由来があるのではないかとも言われています。
漫画 月影ベイべ
「坂道のアポロン」などで知られる小玉ユキの漫画作品です。伝統芸能「おわら」を守り継ぐ、情緒溢れる地方の町に、東京から転校してきた少女・蛍子。地元の少年・光は偶然、彼女が誰もいない教室で見事な「おわら」を踊るのを見てしまう…。「おわら」のこと、「八尾」のこと。知るきつかけとなりました。
リンク:富山市越中八尾ホームページ(越中八尾観光協会)
明治の頃より自然の地形を利用した「エンナカ」と呼ばれる火防・流雪用水路があり、幅約40cmの溝が町中を縦横に走っています。