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増山誠倫&トップギアⅠ

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増山誠倫&トップギアⅠ ※画像はトップギアⅠではありません

わたしが、「増山誠倫&トップギアⅠ」のファンになったのは、TBS系「情熱大陸:馬術選手(障害飛越)・増山誠倫」が放送される以前だったと思います。大きな体格で騎手になるのを諦めざるを得なかった男と、脚を怪我して競走馬失格の烙印を押された馬が、馬術(障害飛越)で世界に挑戦するというストーリーです。

競走馬(サラブレット)が馬術のワールドカップの出場するなんて!
放送の中で、増山さんにちょっかいを出すトップギアⅠが可愛いかった!それで、会いたくなり、小山乗馬クラブに行くも会えず…

放送の中で、競走馬は伸びる動きが重要であるのに対して、障害飛越は障害を越える直前に力を蓄える縮む動きが重要であるということを言っていたような…なので、転向することは簡単なことではない!

ただ、その偉業も決して平坦な道ではありませんでした!

増山誠倫&トップギアⅠは、無敵の強さで2002年、2003年の全日本大障害選手権で優勝しますが、2003年12月末にドーピング検査の陽性反応が出ました。原因は全くわからなかったとのことです。結果、直後のイタリアで開催されるワールドカップの出場辞退することになりました。また、テレビや新聞、ネットで叩かれることにもなりました。

それでも、こんな汚名を着せられたまま終わらせていいわけないと。もう一度頂点を目指します。
そして、2006年に全日本大障害選手権3度目の制覇を達成します!そして、リーグを勝ち抜き史上初の元競走馬のワールドカップホースが誕生しました。このとき、トップギアⅠは16歳になっていました。増山さんは、情熱大陸の放送の中で「16歳だともう老人の域だけど、トップギアⅠは精神的には若いチョイワルオヤジ」と表現していました。

正確には、2007年はCSI-WJapan League Final Standingでトップになり、2008年ワールドカップのライダー権利を得ました。
従って、16歳になったトップギアⅠではなく、別の馬で大会に出場することもできましたが、相棒はトップギアⅠ以外には考えられなかったのでしょう。

放送の中では、ワールドカップの様子も映されて、決勝では障害が未知の高さ160センチに設定されていましたが、人馬一体となってチャレンジして無事ゴールしました。

小山乗馬クラブの「誠倫ブログ」では、2018年9月24日、トップギアⅠが26歳の生涯に静かに幕を下ろした報告がありました。「増山誠倫&トップギアⅠ」は忘れられない人馬です。

優勝 増山誠倫&トップギアⅠ

障害飛越かっこいい!馬の息づかい、蹄の足音。
動画5:25~ トツプギアⅠの第2走行 完璧!

三本木農業高校、馬術部~盲目の馬と少女の実話~

同時期、2008年はタカラコスモスにも影響受けました。ちなみに映画の中で、骨折する馬(キング)は、富山の牧場でスタント練習を積みました。

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